Sunday, November 22, 2015

忘れられない思い出

大学生の時、毎年夏にみなさんは故郷に帰ったが、私は全然帰らなかった。大学にちかくて、小さくて、安い家に二人の友達と住むほうが好きだった。何も心配しなくて、その夏が大好きだった。

どの年だか忘れたが、私の忘れられない思い出は一つのその夏に起こった。7月4日の休みのパーティーでまだ分からないことが起こった。

最初は、そのパーティーが毎年の7月4日のパーティーだった。みなさんはたくさん安いビールを飲んだり、ビールポングのようなゲームとしたり、ホットドッグを食べたりした。だれかがたくさん花火を持ってきたから、暗くなってから付けるつもりだった。

しかし、夜になる前にちょっと予告があった。

このパーティーに、特別な友達がいた。名前はイアンさんだった。イアンさんは他の人のように考えなかった。いつも一緒に遊ぶ時にびっくりされた。色々な変なことを突然した人だった。この話は一つの 例だ。

だんだん夜が近づいた。私は 家の中でビールポングをしていたが、たくさんの人は外で遊んでいた。突然、イアンさんが家に入ったが、病気のようだった!お腹がいたかったように歩いて、変な音もしていた。それだけではなく、パンツを履いていなかった!

このようなイメージだった:

その時、イアンは振り向いた。

火の付いた花火がお尻に入っていた!
何が起こっているか分かる前に、イアンさんのお尻が暑くなって、花火が床に落ちた。小さい花火だったから、爆発はなかったが、床が燃えた。花火があった所は黒かった。

これは深刻な問題だった。友達はこの家に住んでいたが、友達の家ではなっかた。先生のだった。その先生は旅行している間、その友達が先生の家に住んでもいいと言った。それから、これが起こったすぐに、その友達はその燃えた所をがんばって掃除していた。イアンさんはもう外に走った。

なぜそれをしたかまだ分からない。全然聞かなかった。聞いても、本当の答をもらわなくて分かったん。これは確かにばかな思い出だね。私の生活に全然大切ではないね。しかし、そのイメージを本当に忘れられないと思うよ!

Sunday, October 25, 2015

私の故郷

私はユージンという町に生まれましたが、あんまり思い出しません。まだとても若い時にビーバトンという町に引っ越しました。それは私の故郷です。

ビーバトンはとてもつまらない町ですが、ポートランドに近いです。それで、友達は車を運転し始めた後できるだけポートランドに行きました。高校生でしたから、いつも家族の家にいなくて友達と遊んでなんでもしてうれしかったです。本当にポートランドに行くとべつに何もしませんでした!まだ子供でしたからお金がなくて、お酒があるコンサートやクラブに行けなくて、たいてい色々な庭園や喫茶店だけに行きましたが、まだ楽しかったです。

ビーバトンとポートランドは夏にとても住みやすいです。天気がとても綺麗で、バスと電車などがとても便利で、たいていフードという山が見られます。

フードという山です

しかし、ほかの季節は雨だけです。ぜんぜん雨が止まないそうです。今サンディエゴに住んでいますから、雨が降るとすごく嬉しいですが、オレゴンのように雨が降らなくてもいいです。

サンディエゴのように私の故郷は海が近いですが、とても違う海です。サンディエゴではいつも暖かくて、遊びやすくて、オレゴンの海はたいてい暗くて寒いです。しかし、大好きな海です。オレゴンの海のほうが綺麗ですごいと思います。高校生の時友達とよく行きました。

オレゴンの海

まだ年に一回くらいビーバトンとポートランドに家族と友達に会いに行きます。最近はたくさんの人がポートランドに引っ越しましたので、子供の時と比べると、もっと高くなって、文化も変わったそうです。しかし、私の故郷はまだ好きな場所です。

Tuesday, October 13, 2015

自己紹介

はじめまして。私はニール・ルービと申しますです。最近カリフォルニア大学サンディェゴ校の音楽の学部のintegrative studiesという修士課程に入学しました。今年、音楽の研究のために、日本語の授業をとることにしました。8歳の時から音楽と日本にも興味がありましたから、このことを大学院生でも一度勉強し始めてうれしいです。

1997年に小学生の四年生で、ドラムのレッソンを受けはじめて、その時に新しい友達に会いました。その友達は日本人でしたから、日本の文化に興味を持ちはじめました。
2000年に中学校に入学するとその友達は日本に帰りましたが、私の中学校で日本語の授業をとることができました。私はその授業をとることにしました。あんまり学びませんでしたが、楽しかったです。それから高校でも日本語の授業をとりたかったです。

2003年に高校生に入学する時まで私はとても真面目なドラムの生徒でした。毎日学校がおわってから、帰らなくて、一人で音楽の練習をしました。そして、上手な日本語の先生がいましたから、日本語をよく学びました。

中学校を卒業した後、2007年にオーバリン大学に音楽の生徒として入学しました。しかし、2012年に卒業する時まで、アジア研究の専門もすることにしました。今、音楽の修士課程に入学しましたが、アジア研究の大学生で習ったことも私の研究に大切です。

大学院生になる前に三年間サンディエゴで働きました。二年間プレイステーションと呼ばれるビデオゲームの会社で働きましたが、嫌いでした。その後、ドラムの先生でした。それが大好きでした!大学院生ですから、今よりドラムを教えられますが、まだ15人ぐらいのドラムの生徒がいます。私の生活にドラムの先生が大切でしたから、ドラムの先生で教えるのを楽しみます。

ビデオゲームの仕事が好きではありませんでしたが、まだゲームをするのが好きです。ビールも私の趣味です。サンディエゴに美味しいビールがすごく多いです!飲んだことがないビールをいつもかんたんい見つけられます。もちろん、今大学院生で、忙しくて忙しくて、あんまり飲んできませんでした。

写真やビデオがないブログはつまらないですから、このリンクをどうぞ:

https://www.youtube.com/watch?v=CW7lfePyBFo

これは今年の夏でした。マラショックと呼ばれるダンスのグループのパフォーマンスにサクラプロファナと呼ばれる合唱団と たたきました。

どうぞよろしくお願いいたします。

Tuesday, October 6, 2015

学歴

2000年9月 ウィトフォード(Whitford)中学校入学
2003年5月 ウィトフォード(Whitford)中学校卒業
2003年9月 ビーバトン高校入学
2007年5月 ビーバトン高校卒業
2007年9月 オーバリン大学入学
2012年5月 オーバリン大学音楽学部・アジア研究学部卒業
2015年9月 カリフォルニア大学サンデエゴ 校音楽学部修士課程入学


以上